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リレーコラム

第一回 「原子力発電産業はやめて自然力発電産業へ」

加藤 元
J-HANBS会長
ダクタリ動物病院 総合院長

 私が客員教授(Affiliate Faculty Member)とアンバサダー(Ambassador)の名誉をいただいている「コロラド州立総合大学の獣医・生物医科学科大学 College of Veterinary Medicine and Biomedical Sciences」で「バイオメディカル・サイエンス(生物医科学)」とは何かを学ぶようになり、獣医師の一員として痛感したことは、科学とは何か、誰のものなのか?ということでした。獣医生物医科学も科学と言う学問の中の一つのカテゴリーであり、誰のためにあるのか?誰のものなのか?この科学の本質は何なのか?ということでした。

 獣医学獣医療・医学医療は共通であるという「ワンメディスン」理念に基づくと、職業上の免許が、獣医学と人医学に分かれているだけで、我々が学んでいること・それを実践することは、まさにワンメディスン=バイオメディカル・サイエンス=生物医科学そのものなのだということが出来ます。獣医学・人医学とはそれを「どの動物に応用するか」によって、つまり、犬と猫、その他の動物に応用するか?さらに人に応用するか?が違っているだけということが良く分かると思います。

 旅をするのにも船しかなかった明治初め(1876 年)に、クラーク教頭(札幌農学校初代教頭)が、マサチューセッツ州から西海岸へ、そしてそこから何か所かを巡った後、はるばる米国から日本の蝦夷の地へ足を運んだのは、日本の有畜農業と獣医学を学ぶ札幌農学校(北海道大学の前身)の学生たちに、人獣共通の生物医科学(当時はまだこのような言葉はなかった)を実学として学ばせ、北海道の開拓、学生教育および教員教育・社会教育(獣畜農業の振興は国是であった)に活かし、実践させることにありました。

 中学一年から今日まで私が学んできた、人と動物と自然を科学的に大切にするという理念を「米国を中心に発展してきた世界のヒューマン・アニマル・ボンドの研究と私の長年にわたる生物医科学の研究と実践の成果を、活用するため、2000年に、公益社団法人日本動物病院福祉協会(JAHA)がIAHAIO の第一回環太平洋大会(ヒューマン・アニマル・ボンド2000)を開催しました。これを契機にJ-HABS を創立し、NPO法人を目指すことにしたのです。ヒューマン・アニマル・ネイチャー・ボンド(人・動物・自然の絆)、分かりやすく言えば、「人・動物・自然を大切にする/ 人としての思いやりを育てる」、それも科学に基づいて大切にするという理念なのです。

 前述のコロラド州立総合大学の獣医・生物医科学科大学には、環境科学科、環境医学センターがあり、放射線障害(いま日本で大問題となっている)や世界的に有名な公害問題(水俣病など)を獣医学獣医療教育に必修のカリキュラムとして40年も前から取り入れられています。

 またコロラド州立獣医・生物医科学科大学では、伝統的にワンメディスンとしての放射線治療学や麻酔学においても、獣医・人医学の双方に多大な貢献をしてきました。今回のフクシマ原発の事故で避けて通れなくなった放射線障害(ワンメディスンとして)についても、世界初の動物がんセンターやアーガスセンター(ヒューマン・アニマル・ボンド・センター)の創立からも分かるように、今日までの長年にわたる世界的な研究を集積し、社会のために活用しています。さらに大学の教育病院(日本では医学部の附属大学病院、獣医学部や農学部では付属家畜病院であるが)をヒューマン・アニマル・ボンド・センタード・プラクティス(ボンド・センタード・プラクティス)の理念の実践の場として、人と動物と自然環境(ロッキーマウンテン国立公園の自然と野生動物達)の保護にも貢献しています。このような考え方を受け、我々J-HANBS は、ヒューマン・アニマル・ボンドから、さらに社会によりわかりやすくするために一歩進めて、ヒューマン・アニマル・ネイチャー・ボンド・ソサエティとすることになったのです。

 人・動物・自然(地球環境を科学的に大切にするという)の立場に立てば、真の科学者でさえもコントロールできない死の灰を、日本国内だけでも、すでに54基もある原子力発電所で増産し続けることが人類に許されるのかどうか!科学的な答えはNOに決まっています。つまり、これは「意見ではなく科学の問題=ワンメディスンとしての医学、獣医学、生物医科学の問題」として考えてみれば、自明の理なのです。

 今日の放射能問題は、人の健康上、5回目の大規模被ばく事故(原爆の投下を含め)であり、死の灰事故なのです。これは、人類にとって、取り返しのつかない事故(死の灰事故)なのです。放射能を含んだ死の灰は、「半減期」なる言葉を各マスコミやマスメディアで取り上げ、それで“かた”がつくかのように表現されていますが、実は、死の灰は半永久的に有害な放射能を出し続けるのです。

 放射線障害の外部被ばくと内部被ばくなどの言葉の違いは、新聞、雑誌やテレビ放送(マスコミ)などで、皆さんにも少しは分かっていることと思います。しかし、内部被ばくについては(この方面の日本の医学・医療は国際的に大いに遅れています)日本のいわゆる専門家と称されている人々、がいろいろと言及されていますが、さっぱり本当の事が分からないというのが実情でしょう。

 しかし、わかる、わからないに関わらず、本当は人類にとっても、動物たちにとっても、人医療にとっても、獣医療や自然にとっても“子”“孫”の時代にまで、特に、内部被爆により、どうにも取り返しのつかないことを引き起こしてしまったのです。今回の事故は、天変地異が引き金になったとはいえ、日本は、これから最低でも、50年、100年、半永久的にチェルノブイリと共に死の灰を世界的に撒き散らし続けることになっているのです。プルトニウムについては、人類の時間からすれば、今後内部被ばくを受ける者にとっては、永久に死の灰であり続けることになっています。

 内部被ばくを起こす物質(死の灰)は体内に留まる限り、細胞レベルで細胞機能障害(体調不良)と、遺伝子レベルでDNA の損傷による遺伝的な悪影響(がんが出来るメカニズムの一つ)を受け続けることになっているのです。

 本当に事実が分かる人が極めて少ないために、(日本では優秀な科学技術者は無数にいてもその専問が縦割りで超細分化されていて、非統合的であるがゆえに本当の科学者が極めて少ないために)、すぐに分かる筈の「この事故の取り返しのつかない重大さ」が理解できないのです。つまり、人・動物・自然を大切にする、それも科学的に大切にするというHANBS が主張する理念に気づかれている人々や、「ヒューマンな思いやり」を育てている人々には、人類では「どうにもならない」死の灰を増産し続けることにしかならない核分裂を、発電に利用することはできなかった筈です。

 ましてや、大地震が起こる原因の4 つの大陸プレートの真上にある断層だらけの日本列島上で、このような事故を起こせば、正に「取り返しがつかないこと」と、「どんなに危険なことか」は誰にでも良く分る筈です。

 米国スリーマイル島での原子力発電所の事故は1979 年(約30 年前)、ソ連チェルノブイリの超大規模な原子力発電所の事故は1986 年(約25 年前)のことでした。

 この二つの事故の原因は、誰にも予測のつかない、天変地異ではなく、原子力発電は、いずれも「事故が起これば取り返しのつかない危険をはらんでいること」を証明する人災と呼ぶべき事故によるものでした。

 事故をおこした両国ともに宇宙開発の実績を持ち、また、原子爆弾を搭載した長距離ミサイルを都市や基地を正確に狙い撃ちできるだけの、最も発達した科学的技術を持つ、超大国です。

 その科学技術超大国の建設した原子力発電所が事故を起こしたということは、言ってみれば、「原子力発電が元々持っている事故の可能性」が、現実のものとなったに過ぎないということす。これらの悲劇を通じて、同様の事故が我が国においても発生する可能性が、その時すでに科学的に証明されたといってもよいでしょう。

 科学(事実に基づく、合理的な論理の展開(推論))からすれば、日本の(国策としての)エネルギー政策、原子力発電産業は、日本列島上では展開してはならない、行うことが始めから間違っているということなのです。日本の原発賛成論者だけが作り上げた安全神話などは世界共通の科学からすれば、初めから成立するわけがなかったのです。

 原子力の平和利用、地球の温暖化防止、クリーンエネルギーなどの美辞に守られ、使用済燃料棒(これでは本質である超危険物の死の灰であることが一般の人々には分からない)の最終処理の具体策がないまま、国策という名のもとに、原子力発電を担当する電力会社が独占する発電や送配電は、「電源三法」を始めとする、各種の法律に守られた巨大な利益(原子力発電所の数を増やせばふやすほど関係者への利益が増える)が約束された、科学音痴の政治家と各電力会社のために巧妙につくられた国策と言う独占事業であったのです。

 さらに、それらを補強する、各種の地方自治体への多額な給付金、付随する公共事業に対する潤沢(巨額)な税金の投入なくしては、日本の原子力(発電)産業を維持成長させることはできなかったのです。(ちなみに日本の電気代は、アメリカに比べ、約3倍。原子力発電を継続する限り、これからも一般市民の電気代はますます高くなることがすでに法的に約束されています。)

 原子力発電は、大気を汚さないクリーンな発電であり、しかも(純粋な)発電コストは最も安価であるとよく言われています。しかしながら、原子力発電所建設には、莫大な費用のかかる用地の確保、そしてそれを受け入れる自治体、および関連する公共施設の充実のための国家的な補助金、発電送配電事業の独占、無競争から起こる発電コストの継続的な拡大などは含まれていません。

 これに原子力発電の正当性と安全性を強調し、電力需要を継続的に拡大していくために必要な広告宣伝費、それに好都合な原子力発電賛成派だけの研究者や御用学者に対する継続的な巨額の研究費、経済産業省の行政に必要な予算、さらに使用済みの燃料棒(死の灰)と廃炉の管理(さらに必要となる現場労務員への報酬、健康とクオリティ・オブ・ライフ(QOL)を犠牲とすることからくる莫大な補償費用と各電力会社に必要な利益(高給と高額年金、株の配当)が半永久的に必要となる)のための費用が必要になります。

 その上にこのような事故が起こった場合の補償や賠償なども、実は原子力発電のための不可欠なコストなのです。しかも、これから50年~100年は増えても減ることのない経費は膨らみ続けるのです。したがって、これらを発電コストに加えていなければ、そもそも原子力発電は成り立たたないものなのです。

 2011年の東日本大震災による原子力発電事故のように、非常に危険な状態が長期間にわたって続く使用済燃料(死の灰の生産と保存)と、メルトダウンした原子炉の管理と廃炉(死の灰の塊)に膨大な費用を必要とするという負の遺産を、次の世代、子孫へと受け継がせる権利が私たち大人社会(政府や経済産業省キャリア組、さらに原発継続に賛成する政治家すべての人々)にあるのでしょうか。

 このように、科学的な事実に基づき、正しい論理の展開、推論ができていれば、言うならば科学(学問)を本当に大切にしていれば、もうひとつは人・動物・自然を大切にするという「ヒューマンな思いやり」を本気で大切にしていれば「事故が起これば取り返しがつかない」原子力発電産業をこの断層・地震・火山列島で始めることにはならなかった筈です。科学・学問には“想定外”はありえないことなのです。

 このような事故がフクシマの他に東京や関西、東海地方の付近に起こり、死の灰を半永久的に撒き散らすことになったと考えてみれば、それがどんなに大変なことか誰でもがすぐわかることです。

 地震と津波は、人知ではコントロールできない天変地異です。しかし、想定外の現実として「事故が起これば取り返しのつかない」原子力発電所の事故が起こり、将来50年から100年にもわたり死の灰を出し続け、人の次世代、子子孫孫の健康と遺伝を障害し続けることになるのです。

 これは元々、行ってはならない原子力発電を、事故が起これば取り返しがつかない(放射能=死の灰)、その上に、危険性が高か過ぎて不可能なものとして、原子力発電の先進国ですら、50年も前に開発を断念している“もんじゅ”のような高速増殖炉(猛毒の純プルトニウムを増産し続ける)による原子力発電産業を目指し、賛成派だけの学者、行政、政治家、電力会社が一丸となって推進してきたのです。つまり、科学的事実や真実を無視し、歪曲して成長させてきた、歴代の専門家としての学者、科学技術者や政治家、行政、政府、財界、産業界、および高名なジャーナリストや評論家、マスコミの科学的無知と、いのちと生活を無視する故の地方政治家や、それをよしとする有力受益者住人たちによる、れっきとした「人災」なのです。

 今や、すべての原発を点検停止の順に廃炉とし、コミュニティ型の自然、安全エネルギー利用型発電産業の振興により、必要な電力を100%供給できるようにする必要があ ります。

 そこで、日本と世界の科学と科学技術を総動員し、政策を転換し、自然力発電という新一大産業(第三次産業革命)を創造し、成長・発達させ、輸出産業化しなければならない時代になっているのです。(日本の科学技術と経済力からすれば、皆が協力し合えば必ずできる。)

 中小企業の危機が叫ばれています。これまでは、そのほとんどが巨大産業の一下請とならざるを得なかっただけで、本来、蓄えてきた技術力をもって、将来新しく一大産業になる自然力発電産業、または地産地消産業の元請け産業へと変貌すべき時期を迎えようとしているのです。すでに“もんじゅ”には2兆4000億円という巨額の費用がつぎ込まれています。しかし、日本の科学技術研究を支援するための、独立行政法人科学技術振興機構の各方面にわたるすべての研究対象に使用できる年間予算は、総額でもわずか1100億円しかありませんが、それらすべてをまとめて新発電産業に充てるべきなのです。

 この科学的な事実を、しっかりと認識することができるならば、そして、人類が人と動物と自然を大切にするのであれば、はじめから人類ではコントロール不能な死の灰を生産し続ける原子力発電産業はやるべきことではない、特に日本列島ではなおさらである、ということは小学校4 年生以上になれば、誰にでもよく理解できるはずです。

 電力の供給というのも、人類が造り出した文明産業の一商品にすぎません。その一商品を作るために、永久に“死の灰”を増産していくことは、始めから間違いなのです。

 今や人類は、今日まで巨大な費用と時間をかけて、原子爆弾の開発や、原子力発電のために応用してきた科学技術を、化石燃料や原子力に頼らない代替エネルギーの開発のためにこそ、傾注させなければなりません。原発事故の教訓を活かして、全世界の科学者が、自然力発電新産業の開発成長、拡大、維持のために全力をあげて協力し、全世界のための一大新産業を興し成長させ、グローバルなインフラとエネルギー需要に応えるべき時代に入っているのです。

 

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