#
リレーコラム

第六回 「夢・計画・実現 夢よ再び、2008年のチョモランマ(エベレスト)へ」

三浦 雄一郎
登山家、プロスキーヤー
クラーク記念国際高等学校 校長
日本ヒューマン・アニマル・ネイチャー・ボンド・ソサエティ 顧問

 登山の医学によれば、エベレストの山頂にたどりつくとき、20才の若者の肉体年齢が90才に近づくといわれている。70才の私は140才になるはず、そんなことが本当にできるのだろうか。
  65才でエベレスト登頂を決心したとき、体脂肪40%のデブ。不整脈もひどくなっていた。血液、尿の検査もこのままでは、と先輩のスポーツドクター多田先生から、もう入院でもして普通の体に戻さないと、と言われるしまつ。特に腎臓がおかしい、このまま進行すれば人工透析を受けなくては、と厳重注意。わざわざその結果を札幌から出張先の大阪の講演会場まで心配して携帯電話にかかってくるしまつ。
  ためしに私の家の近くにある510mのモイワ山に登ってみたら、途中でのびてしまった。頂上をあきらめて山頂からあと10分というところで下山、この山は幼稚園の遠足で子供がキャーキャーいいながら登れる山なのに。
  ゴルフをやっても股ずれしているという情けない状態でした。
  札幌は私の好きな町。とても良いところですが、ビールがおいしい、ジンギスカンや焼肉など食べ放題、飲み放題をくりかえしやって、動けなくなるほど食べて飲んでの毎日だった。
  ドクターは入院しなさいというけれど、私は入院するくらいなら山を登って死んだ方がマシ?だと思った。


 そんなわけで70才のエベレスト登頂のスタートは惨憺たるありさま。
  おまけに、最新の登山用具の使い方から、氷壁の登山技術、それよりも本職のヒマラヤ登山を経験しているサポートの登山家をどうやって集めるか、トレーニングも含めてこの先どうやっていいのやら。
  5年計画を立てた。はじめの2年は日本で、ともかく短時間で富士山を登れるようになろう。その先、ヒマラヤの5000、6000、7000、8000と登る。
  しかし、エベレストは、一流の登山家といえども一回で登れるとはかぎらない。エベレスト初登頂のテンジンの息子はシェルパとして一流の登山家だけれども三度目にやっと登れることができた。
  死亡率14%、特に登頂したあとの下山では5人に1人は死んでいるという。これも30代の若い登山家達でさえこうだという。
  70才ではたしてできるのか。それに成人病の治療からはじめなくてはならない。
  できるわけがない、無理だ無理だ。
  いま考えてもみても、不可能に近い、高く遠い夢のまた夢だった。
  とりあえずの第一歩がみじめな失敗、500mの山も登れなかったのだ。夢はさらに遠のいた。
  当時もけっこう仕事が忙しかった。一ヶ月のうち自宅にいるのが一週間もない、全国をとび歩いていた。
  ふと考えてみたのが、家を出て歩く、当然のことだけれども、この歩くことを全部トレーニングにしよう。登山靴をはいて足首に1キロの重りをつけて背中に10キロのザック。これを2年目には2キロ、20キロ、3年目には5キロと25キロ、と重さを増やしながら、一日30分から2時間歩き続けた。


 こうして半年たって富士山へ登れるようになり、3年目からヒマラヤの5000mの山も登った。
  不思議なもので、こうしてとんでもない目標に向かって、小さな一歩から歩きはじめ、一歩ずつその向こうにエベレストの頂上がある、そう夢を見ながら歩き続け登り続けたらいつの間にか成人病が消えていた。
  健康をとりもどし、命がけでエベレストの氷壁を登り続けた。
  健康とは、心の中に大きな夢を持つ、その夢に向かってのあきらめない一歩ずつから生まれてくる。
  いつか健康から、超人にも変身できるのだ。
  しかし人生、年をとるとサビやすいもの。エベレストから帰って、とてもくたびれ、動く気にもならない月日が続いた。
  体重が増え、太りはじめた。


 夢よ再び、新しい夢、2008年のチョモランマ、75才でもういちど世界の頂点に立ってみたい。

 

リレーコラム一覧に戻る

#
J-HANBSってなんですか?
子供と犬・猫の脳教育
動物ふれあいムービー
動物なんでも110番
犬のホームドクターQ&A
J-HANBSサポーター募集
加藤元先生のおはなし
脳の科学的証明
インストラクター養成講座