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リレーコラム

第七回 「心と気持ちを伝える言葉によるコミュニケーション」

広瀬 久美子
元NHKアナウンサー、エッセイスト

 毎日何の疑問もなく使っている言葉ですが、同じことを言うにしても色々な言い方があります。たとえば、ある女性がいたとします。彼女はメガネをかけ、痩せ型でいつも本を読んでいます。この女性を表現するとき、
「メガネをかけて聡明で、すらっとしたお嬢さん」とも言えますし、
「近眼でがり勉、やせっぽちの女」とも言えます。
  あなただったらどちらの言われ方が良いでしょう。人間誰でも、褒められる方が嬉しいですね。言葉によるコミュニケーションの簡単な基本は、

・自分がそう言われたらどんな気がするかを考えることと、
・相手の立場にどれだけ立てるか、相手をどのくらい思いやることが出来るか。

ということなのです。これに関してはもう少し詳しく、私が経験したお医者様との例でご説明しましょう。


 まだNHKの現役時代のことです。私は左胸にしこりがありました。全く検査をせず、知り合いの先生の触診で「何でもない」と言われていたのです。その話を、医学番組でご一緒したAセンターの院長先生にお話をしたところ、「早く検査をしたほうが良い」と言われ、Aセンターに行くことになりました。そこで紹介された医師は、何も言わずにいきなり触診をしたあと、一言(ひとこと)だけ言ったのです。
  「広瀬さん、すぐ手術だ」
  突然のご宣託に私は茫然としながらも、やっと聞きました。
  「あのう、全摘でしょうか?」
  すると医師は、
  「僕は触診に関しては絶大な自信がある。これは癌だよ。ただし、悪性だがその中でもタチの良い方だ。今手術すれば100%治る。まかせてくれ。入院は2週間だ」
そしてその場で大至急の検査と、入院の手続きをするようにとの指示が出たのです。有無を言わせぬ断定と事の運びに、納得も抵抗も出来ず、暗澹たる思いで院長先生のお部屋を訪ねますと、こう言われました。


 「良かったね。命びろいをしたね。ずいぶんのんきだねえ。このまま放っておけば、あと3年の命かなあ。入院は一ヶ月くらいだね」
  これではコミュニケーションも何もあったものではありません。3年の命と聞けば、本人はもちろん、職場や家族、親戚中がパニックに陥ります。そのあと、2件のお医者様を尋ねましたが、二軒目では「命はあと2年」、三軒目では「しこりの中は水かもしれない」「ごめん、水ではなかった」と、いう具合でした。


 今改めて成り行きを見ますと、医師たちの話には矛盾点や、おかしい点が多々ありますが、当時はそれに気がつくほど冷静ではいられない状態でした。患者は不安なうえ、専門的なことは何もわからないのです。その不安を取り除き、専門的なことをわかりやすく患者に伝えることが、何よりも医師のすべきことなのです。三軒とも簡単な基本すら出来ていない、ということですね。
  特に、お医者様と患者の間には、知識の上で相当な開きがあります。その開きを専門家の方ほうで、患者の立場まで降りてきて説明しなければ患者は何も理解出来ません。誰でも専門家は難しい話をしたがりますが、専門家同士ならともかく、違う立場の人と話す場合は、特に心を砕いて注意しなくてはなりません。それによって相手に対する印象も信用度も決まってしまうからです。さて、病院の続きですが、周囲の勧めもあって四軒目の病院に行った時、そこで出会った医師はとても丁寧な診察をしたあと、
「かなり大きなしこりですね。どうしてこんな立派なものを、いつまでも持ち歩いているんですか」この言葉で、私は一挙に緊張が解けました。そして、「物欲が激しいものですから、切りたくなくて」 と、ジョークに交えて私の気持ちを伝え、心穏やかに医師の説明が聞けたのです。
  その説明は、
「まずテスト切開をし、組織の一部をとって検査をしましょう。その結果何でもなかったら無罪放免。何かあったら二人で切り方を考えよう。何軒も病院を回って義理が出来たようだが、ウチでするのもいいし、義理を立てて他の病院でしてもいいよ」
  この言葉を私は今でも忘れることが出来ません。ちょっとした言葉で、患者の気持ちをやわらげてコミュニケーションを取り、患者の立場を考えてわかりやすく、かつ、希望が持てるような説明。特に傍点の部分は、あと数年の命と言われた私にとって、地獄の入り口で聞く、天使の言葉のように思えました。短い時間でコミュニケーションが取れ、その結果“この医師が両方とも駄目だといえば、喜んで二つとも切ることが出来るだろう”とまで思えたのです。私はその医師に全幅の信頼を置くことが出来ました。私はこの病院にお世話になり、その結果、「乳がん」も何と、誤診(!)だったことがわかったのです。


 このときの経験で、言葉というのは使い方一つで「北風」にも「太陽」にも、或いは「悪魔」にも「天使」にもなるものだ。出来れば私自身、“この医師のような話が出来るようにならねば”、と心底思ったものでした。
  しかし、そう思っていてもなかなか上手くはいかないものです。やはり現役時代、テレビ番組「きょうの料理」を収録していたときのこと。お相手は中国料理の陳 建民(ちん けんみん)さんでした。彼は日本語がわからないということでしたが、片言でとてもセンスの良い表現をなさるのです。たとえば、てんぷらをするときに衣をつけるときは「シャツを着せる」、油に入れるときは「油のお風呂」などなど。ですから私を含めてスタッフ全員が、“陳さんは日本語がわからないフリをしているのだ”と思っていました。
  彼はまたお料理の作り方が早いのです。本番中、とても早くなりました。フロアディレクターが大きな紙に「急がないで下さい」と書いて、私たちに見えるように出たそのとたん、陳さんの手が猛烈に速くなりました。私は冷汗をかきながら何とか時間内に収めたのでした。
  そのあとです。「急がないでとお願いしたのにっ!」という、私の抗議に陳さんは怪訝な顔をなさるだけ。日本人の奥さんに通訳して頂いた結果、
  「広瀬さん。亭主は“急いでくれと言われた”って言ってるわ」
  「え~~っ! そんなはずはありません。ちょっと来て!」
  と私はフロアディレクターを呼び、「急がないで下さい」と書いた大きな紙を見せました。その途端、「だめよ!亭主は日本語が読めないわ」
  いつもお会いしている奥さんとは仲が良かったので、私も負けずに、
  「あら、漢字は中国から来たもんじゃないですか?」
  と言い返せば、奥さんもまた反撃。
  「そうよ。でもひらがなは日本独自のもんでしょ?」
言われてその紙を見れば、陳さんの読める言葉は、“急”と、“下”だけです。それでもスタッフ全員内心“うっそ~”と思っていたのです。しかし、「急ぐときには“愉快”の“快”を、ゆっくりするときは“緩慢”の“慢”の字を書いて欲しい」と言われて、初めて陳さんが日本語を知らなかったことに気がついたのでした。


 これは、相手の立場を全く考えず、こちらのわかっていることを相手に押しつけた結果の失敗です。番組を撮る最初に、急いで欲しいときと、ゆっくりして欲しいときの、サインをきちんとお見せし、説明しておけば何の問題もなかったのです。そうすれば、陳さんも私もあれ程慌てず、番組が終わってからも、もめずにすんだことでしょう。


 二つの例はかなり大きな事柄かもしれません。でも人間いつどこで、どんなことが起きるかわからないのです。そのためにも、コミュニケーションを上手く取ることが不可欠。そして、それは家庭の中の小さな会話からなのです。わが家の例で恐縮ですが、ウチの夫は私に何か頼むとき必ず、
  “忙しいのに悪いけど”“すまないけど”“その仕事が終わってからでいいから”といった言葉がつくのです。そう言われるとつい、二つ返事で引き受けてしまいますが、そのあともまたあるのです。“ありがとう”“サンキュウ”“いやいや悪い悪い”など。それを聞くと、「あらいいのよ。ほかに何かある?」と言ってしまいます。
  ほんの小さなことでも相手を思いやり、言葉を使うことは相手のためにも良いことですが、それが必ず自分のところに返ってくるということにもなるのです。


 これからの高齢化社会にも不可欠な言葉によるコミュニケーション。上うま手く取ることによって、人生も変わってきます。言葉は心を具体的に表すもの。一人ひとりが胸の中に持つ、磨きすぎることのない宝石。相手と照らし合わせればどんな世界も作ることが出来るのです。
  動物と違って、人間は“言葉”という“宝”を持ちます。
  宝を磨いて素晴らしい人生を!

 

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